そもそも「デザイン」て何なのか?あらためて考えてみる
このブログを読んでくださっている方の中には、
「デザインのことはあまりよく分からない」
「デザインはデザイナーがするもの」
「自分がしている仕事には関係ない」
と思われる方も多いかもしれません。
確かにチラシやWebサイトをデザインするような狭い意味での「デザイン」はそうかもしれません。
でも広い意味でのデザインについては、実はそんなことないと思っています。
広い意味では、誰だって毎日デザインしているとも言えるんじゃないかなーと思っています。
デザイナーは福祉職のように資格を取らないとなれない仕事ではありません。
極端な話、誰でも「私はデザイナーです」と自己紹介したり名刺を作ったりSNSで発信したりしたらデザイナーになれるのです。
デザインという言葉の意味を整理してみる
では、そもそも「デザイン」とは何なのでしょうか?
現時点での僕の結論は、「デザインとは、目的のために最適化させること」だと考えています。
「図鑑デザイン全史」という本にこのような記述があります。
「デザイン」は語源学者によると、「骨組みを作る」あるいは「工夫する」ことを意味するラテン語の「デジグナーレ」がその由来である。
さらに、「デジグナーレ」の語源「シグヌム」(署名)までさかのぼると、「アイデアを文字か絵図で表し、それに署名する」と言う趣旨のデザイン、すなわちデザイン本来の意味合いに行き着く。
デザイナー同様、美術家も作品に署名を入れるが、両者の違いは目的性にある。
つまり、美術作品は「実用性」が本質ではないのに対して、デザインの場合、それが決定的な要因をなす。
アメリカ人デザイナーのチャールズ・イームズは、「デザインとは、具体的な目的を達成するために、様々な要素を整理・工夫する最良の手段である」と述べ、さらに、デザインは美術作品とは異なり、「値段、寸法、丈夫さ、バランス、見た目、時代性等」の外的な制約と切り離せない点を指摘している。
(参考文献:図鑑デザイン全史/柏木博監修/東京書籍/2017年発行)
ちょっと難しくて何言ってるのか僕も分かっているか自信ないですが、僕なりにまとめると
デザインとは、
・語源は「骨組みを作る」「工夫する」「アイデアを文字か絵図で表す」という意味
・実用性が本質的な目的
・具体的な目的を達成するための手段
・外的制約と切り離せない
ものということになります。
つまり、必ずしも形を作ることだけをデザインとは言わないのです。
何かを具体的に作る人ではなくても、「〇〇〇〇デザイン」「〇〇〇〇デザイナー」という肩書きを持つ人が増えているのはそういうわけです。
例えば、コミュニティデザイン、UXデザイン、まちづくりデザイン、コンセプトデザイン、社会デザイン、ライフデザイン、空気をデザイン、時間をデザイン…etc
これらは「何かしら目的があってそれを解決しようとしている」点で共通しています。
逆に言うと、「デザイン」というワードをくっつけることで、何かを解決したそうな意思を感じる言葉になります。
ですので、誰でも何か解決したい問題や課題を発見して、それを解決しようと工夫したら、例えば家から会社までの道のりを面白い時間にしたいと思って工夫したとしたら、「通勤時間をデザイン」とか言えちゃうのです。
実際ネットやテレビを見ていると、いろいろな「〇〇〇〇デザイナー」を名乗る人を見ることがあります。
今までになかった仕事をする人が増えてきている今、広い意味での「デザイン」は、何にでもくっつけられるとても便利な言葉なのです。
良いデザイン・悪いデザインとは
では、良いデザインと悪いデザインについて考えてみたいと思います。
「デザインとは、目的のために最適化させること」だと先ほど書きました。
デザインの良し悪しは「どれだけ目的のために最適化されているか」で決まると思っています。
例えば「若者向けの講座をすることになったので、若者に参加してほしい」という目的があったとします。
この場合は「若者が参加してくれた数」が多いほど「良いデザイン」になります。
なぜか若者が一人も来なくて高齢者ばかりが集まってしまったとしたら、誰も参加しないよりは良かったかもしれませんが、そもそもの目的からすれば「良くないデザイン」です。
高級感や安っぽさも、目的に合っているかどうかで良し悪しは決まります。
高級感があれば「いいデザイン」、安っぽくてダサいから「悪いデザイン」とも言えないのです。
例えば、スーパーのチラシ。
安っぽくて「良いデザイン」だとは思わないかもしれません。
僕は大学時代に、セイユーで品出しのアルバイトをしていたので、よくチラシを見ていました。
その時はそこまで深く考えていませんでしたが、とても計算されたデザインだったと今は思います。
ギュウギュウにお買得情報が所狭しと並んでいて、一目で何がいくらなのかすぐにわかるようにデザインされていました。
デザインのフォーマットも決まっていて、新聞広告の中にチラシが折り込まれていた時代だったので、チラシ束の中からも探しやすかったと思います。
紙質はテカテカしていてペラペラで安っぽく、雑に扱うのに何の躊躇もありません。
そういう安っぽさも「安さ」を演出していたのです。
スーパーのチラシで大切な、「今日何が安くてお買得なのか」を視覚的にも触覚的にも伝わるようにデザインされていたと言えます。
先輩のデザイナーに聞いた話ですが、スーパーのチラシのデザインで高級感のある色を使おうとしたら、「安く見せたいからその色は使わないように」と注意されたそうです。
確か、ワインレッドのような色を使おうとしたらしいのですが、今思うと高級なイメージのある「成城石井」のイメージカラーに近いかもしれないですね。
つまり、良いデザイン・悪いデザインはそもそもの目的によって変わってくるのです。
自分は全然良いと思わないチラシでも、そのチラシが目的としている誰かにきちんと情報が伝わるのなら、最高に良いチラシと言えます。
そもそも何が目的なのか?を共有する大切さ
「デザインは、目的のために最適化すること」と書きましたが、仕事をしていると、「そもそもの目的とは違う目的」に最適化しないといけないことがあります。
例えば、何かの広告をデザインしていて、途中でクライアント内の誰かから横やりが入ったので、その人が納得してくれるように修正しないと仕事が進まない、と言う場面があったとします。
ですが、その人の意見が、そもそもの目的からすると的外れだったとします。
何も言わずに、言われた通り修正すれば「その人が納得することに最適化」できるので仕事は進みます。
関わる人が多い仕事になると、いろんな人がいろんな意見を言います。
それら全てを言われた通りに修正することは、「仕事を進めることに最適化したデザイン」としては良いデザインです。
でも、それが「そもそもの目的」からするとどうなのかは別の問題です。
「この広告何が言いたいのか良くわからないな」と思う広告を目にすると、何に最適化してこうなったんだろう?と考えてしまいます。
そもそもの目的がデザイナーとクライアントの中で共有されていないと、こういうことは簡単に起こってしまいます。
また、自戒をこめて言うと、「デザイナーがやりたいことに最適化」したデザインを作ってしまって、かっこいいけど何を言いたいのか良くわからないものになってしまうこともあります。
「そもそもの目的」からかっこ良くする必要があるのか?考えないといけません。
ファッション分野や尖った商品の場合は、逆に「良くわからないけどかっこいいデザイン」が求められたりもしますが、かっこよくすることは手段であり目的ではないのです。
クライアントとデザイナーが、目的を共有できてるとお互いが納得でき、効果があるものにつながる可能性が上がります。
デザイナーに仕事を依頼する際は、なんとなく頼まないで、そもそもの目的を共有することを意識してみてください。
また、自前で何かを作るときも、「そもそもの目的」を意識すると、「良い」「悪い」の判断がしやすくなりますので、なるべく言語化してみてください。
デザイナーにも様々な個性を持った人がいるので、考え方もスキルも人それぞれです。
僕なりに「デザインとは何か」を言語化してみましたが、他のデザイナーに一刀両断されてしまうかもしれません笑。
でも、自分が関わっている福祉サービスは目的に最適なデザインになっているのか?別の目的に最適化していないか?とか考えると、そもそも自分のしている仕事の価値ってなんなのか?を改めて整理したり、考えるきっかけになるかもしれません。
自分が関わっている福祉サービスについても、よかったらデザイン目線で考えてみてください。
また、自分を棚に上げた文章を書いてしまった。。